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アニメ感想・考察ブログ

サイコパス22話感想

永劫回帰というわけですか

 

PSYCHO-PASSサイコパス最終回22話「完璧な世界」感想

 

ナイフ同士で戦闘を繰り広げるコウガミと槙島。
孤独でさびしいだけだろと言うコウガミに、お前も同じだと応える槙島。
劣勢に立たされたコウガミはなんだかよくわかりませんが槙島に傷を負わせました。
一旦距離をとって再び交戦、と思ったらびりびり弾?のようなものが飛んできて中断させられました。
投げたのはもちろん朱ちゃんです。
ドミネーターをコウガミに向け、戦いをやめろと催促しました。
その間に槙島は逃亡です。

朱はコウガミにドミネーターを渡し、自らはコウガミの銃を手にしました。
あまりにもてきぱきとした朱の指示に驚くコウガミ。
なにはともあれ、2人で槙島を追います。

追う道中、コウガミは朱に槙島を殺さないのかと尋ねます。
朱は法とは平和を作ろうとする、正義であろうとする心の現れである、
その心は暴力によって簡単に壊されてしまうものだから守るのだと答えました。
ここで朱ちゃんが守りたいのはそうやって簡単に壊されてしまう「正しくあろうとする心」を持つ人間であって法そのものではありません。
後々の展開を見るにシビュラはそこのところを勘違いしているようです。

そうこうしているうちに槙島はトラックで走りだしました。
弾かれるコウガミ、しがみつく朱。
ここでしがみついている朱ちゃんがものすごく美人です。
髪型があれじゃなければ美人ということを思い知らせてくれます。

朱はトラックのタイヤを撃ち、槙島を止めました。
すごい腕だと思いましたが、朱ちゃんは初めてドミネーターを持ったとき
コウガミさんの脊髄をどんぴしゃで撃ってるので朝飯前でした。
弾き飛ばされて立てない朱ちゃんの前に、槙島がやってきて顔を踏みつけます。
さらに朱の拳銃を奪って撃ちます。
が、すでに弾は切れていました。
ここで槙島が「そうか、君は…」と言ったのは
拳銃に1発しか入っていなかった=すでに発砲している=これはコウガミの拳銃
それを朱が持っていて、ドミネーターを手放している
つまりコウガミと武器をトレードした、あるいはドミネーターを放棄した
そしてそれはおそらくコウガミの命を救うためである
=朱はコウガミのために、ゆき殺害時あんなにしがみついていたドミネーター、ひいてはシビュラを放り捨て拳銃を手にした
ということでコウガミは自分と違って孤独ではなかった
あるいは朱の生命の輝きを見たと考えたのかもしれません。

朱を放っておいて逃げ出す槙島。
コウガミは朱を抱えて安全な場所に避難させ、拳銃に弾を込めなおしました。
必死で引き止める朱の言葉も、コウガミさんには届きませんでした。

一方逃げる槙島は独白です。
後ろで流れているピアノ曲が伴奏アルペジオでしかも、メロディのターラーララララって部分がすごくモーツァルトっぽいんですが既存曲ではないのでしょうか。
槙島は孤独が当然、代替のきいてしまう世の中がずっと嫌いだったんだそうです。
麦畑の中を抜けて、坂を上っていく槙島。
前回の「毒麦の例え」になぞらえれば毒麦ではあってもまとめて燃やされなかったというわけで、槙島とコウガミは麦畑を抜けたんでしょう。
さらに言えば坂を上って両手を広げるのはゴルゴタの坂を上ったキリストになぞらえている気がしないでもありません。
かと言って槙島がこの世の救世主であるとも思えないし、民衆のために贖罪をしてくれそうな人間でもありません。

追ってきたコウガミに、槙島はまた自分の代わりを探すのかと尋ねます。
否定したコウガミの答えを聞いて、槙島は満足そうに死んでいったのでした。

その後、朱ちゃんはシビュラと対峙します。
槙島が死んだことで評価はさがったものの、シビュラと人類が共存していくための実験体として朱はこれからもシビュラの観察対象で居続けろと言います。
ここで朱が「守る価値のない法を作るな」と啖呵をきったのはやはり先ほどコウガミに言った朱ちゃんの精神に由来してるのでしょう。
さっき朱ちゃんは正しくあろうとした人間の心の現れである法を守りたいと言いました。
しかし朱ちゃんにとってシビュラは正しくあろうとする人間ではありません。
つまりシビュラがシビュラのための法律を作った場合、それは守るに値する法律ではなくなります。
さらに朱は、シビュラが不要となる社会を予言して去っていきました。
それをあざ笑うシビュラたち。

2ヶ月後、宜野座さんはマサオカさんの墓前で執行官になる決意を述べます。
父親の願う道には進まないっていうのが息子の定めでしょうか。
しかし内心マサオカさんも嬉しく思ってはいそうです。
何かがふっきれたような宜野座さんは、すっかりメガネもはずし明るくなりました。
朱ちゃんはパンツスーツです。
やっぱり麦畑でスカート走りにくいなって思ったんでしょうか。

宜野座さんはカガリくんの死を薄々感じていました。
犯罪係数上がったからか、急に刑事の勘らしきものを発揮しはじめました。
宜野座さんの未来も明るそうです。
コウガミもどこかでのびのび暮らしているんだろと。
朱ちゃんも前より余裕ができてきました。

そのころ志恩さんと弥生ちゃんはラブラブしていました。
おお。
時代遅れの男たちとばっさり言い捨てる弥生ちゃんに、志恩さんがフォローします。
そういえば1係の男性で公安に残ったのって宜野座さんだけか。
星新一ショートショートでもありましたが案外得体の知れない機械とかとうまくやっていけるのって女性なのかもしれません。

そして1話冒頭を思わせる雨にピーポくんのホロに新人監視官の赴任で話は終わりです。
エンディング後にコウガミさんらしき人の影と『失われた時をもとめて』のアップが映りました。
丸窓だったのでたぶん船です。
コウガミさんは海外へ出たんでしょうか。

『失われた時をもとめて』と言えば
最後に「私」が時に関する話を書くと言って終わり=この小説の存在を匂わせて終わり
でループになってますし
過去と現代をつなぐ幸福感も出てきます。
これをニーチェ的に考えると永劫回帰なのではないか。
つまりサイコパスのお話は回帰していくわけです。
正義は連鎖するという最後の文面もそういうことでしょうか。

完全に偏った考えですが
このサイコパスの話をニーチェにあてはめて
シビュラ社会=キリスト教
槙島=ニーチェとすると、とってもハッピーエンドです。
もともと社会から逸脱した存在=哲学者でありながら
結局槙島はシビュラ社会の外、海外へと抜け出すことはできませんでした。
ニーチェキリスト教的考えから死ぬまで抜け出すことはできませんでした。
しかし突き詰めて思想するあまり狂って死んでいったニーチェに対し
コウガミに救いの一言をもらえた槙島はあまりに幸せです。
であるからニーチェ役なはずの槙島はだいぶハッピーに最期を迎えたというわけです。
そして超人となった朱ちゃんはシビュラ社会でもシビュラに支配されず暮らしていけます。
さらに朱ちゃんみたいな人が増えれば、シビュラは必要なくなるというわけで
彼女の予言はその通りになるんじゃないでしょうか。
しかしこの考えだと主人公であるコウガミさんはどこへ行った?となるので
やはり考えすぎな感が否めません。
(追記)とすれば潜在犯=異教徒で、語弊を恐れずに言えば執行官=イニチェリ的な軍隊とも考えられるでしょうか。
コウガミさんは海外に出て、キリスト教社会のマイノリティではなくなったため
「のびのびやっている」と宜野座さんは言ったのでは。(追記終わり)
作った人的には、朱ちゃんのシビュラに対する啖呵こそが
訴えたいことであり、視聴者に考えてほしいことでもあったんでしょう。

おもしろいんだかおもしろくないんだかよくわからないアニメでした。
正直途中から、出てくる引用について意図を考えるのが主になってしまったような。