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YKTM

アニメ感想・考察ブログ

新世界より25話感想

『破戒』を感じるラストでした

 

新世界より最終回25話「新世界より」感想

 

一気に決着がついてしまいました。
早季の作戦は奇狼丸に覚の服を着せ、人間のふりをして近づき悪鬼に殺させることでした。
人間である信憑性を増すためか早季が後ろから呪力を使ってバケネズミを始末します。
まんまと作戦にひっかかった悪鬼。
奇狼丸は満足気に笑って死んでいきました。
最期まで漢でした。
目をつぶるとわりとかわいらしい顔しています。

悪鬼は愧死機構を発動させ、早季も危うく巻き込まれそうになりますが必死に自己暗示をすることで免れました。
ふと気がつけば悪鬼は死に、傍にスクィーラが立ち尽くしていました。

後日、早季は悪鬼を人として彼女を葬ってあげました。
逸話に出てきた橋っぽい場所です。
それにしても今回で彼女がやっと「少女」と明言されました。
今まで女の子と信じて視聴してきた気持ちが救われた気分です。
回想で出てきたマリアと比べると、彼女は天パっぽいんですね。守の遺伝子か。

それから早季と覚で裁判を控えたスクィーラに会いにいきます。
自分のためにあれだけの人を殺し、同胞も犠牲にしたんだろ、と問い詰める覚にスクィーラは全て同族の未来のためだったと答えます。
奇狼丸のことも古臭い爺と切り捨てますが
奇狼丸には彼の正義があり
スクィーラには彼の正義があり
また早季たちにも彼らの正義があったわけです。
そして勝ったのは早季たち。歴史は勝者だけのものです。

スクィーラは裁判にかけられ、無間地獄にかけられました。
裁判で自らを人間とし、笑われるスクィーラ。
ここだけ見れば完全にスクィーラが主人公です。
彼が声を張り上げて「私は人間だ!」と叫ぶシーンは島崎藤村の『破戒』で主人公が窓枠で叫んだ「我は穢多なり!」というセリフを思い起こさせました。
言葉面だけ見れば真逆ですが『破戒』を読んだ当時、このセリフはどうにも「私は人間だ!」と叫んでいるようにしか思えませんでした。
思えば『新世界より』でバケネズミが初めて出てきた回の感想にてバケネズミの扱いってエタ、非人を思わせる と書いたのですが期せずして重なってきました。

さらにその後、早季は倫理委員会のメンバーとなり異類課の立て直しをしていました。
おとずれた覚に、バケネズミの学名が不思議だと話せば彼から衝撃発言が返ってきました。
なんとバケネズミは呪力をもたない人間の遺伝子をこちょこちょっと変えて作られた生物なのでしたー。
なによりオリーブの木の染色体と人間の染色体と同数だったのが驚きです。

同じ人間を殺したと知った早季は狼狽します。
この時点で愧死機構って発動しないのでしょうか。

早季はスクィーラを殺してあげることにしました。
燃えるスクィーラを見つめながら、思い出話をする早季。

その後は要所要所の早季の人生が描写されていきます。
彼女が大雀蜂コロニーの存続に死力を尽くしてくれたようなのが救いです。
奇狼丸は糞まみれのまま死んでいったわけですから。

覚と結婚した早季は、富子さんの後継者になったみたいです。
班の結託が強いなら、早季は覚と結婚するしかなかったよなあと思います。
まさかここまで富子さんの計画なのか。

これまでのナレーションはどうやら早季の手記だったようです。
千年後の子孫へ向けて?かな。
私たちが変われていることの答えが「イエス」でありますように、って
やはりマリアとかけたのだろうか。
そして早季はお腹の中の子どもに希望を見るのでした。

最後の「想像力がすべてを変える」っていうのはやはり早季がそれなりの地位についてから全人学級の方針も変えたりしたのでしょうか。

ずっと気になっていた小説が原作だけにとても楽しいアニメでした。
やっと原作読める。