91Days6話感想
豚(オルコ)を殺しにって、あんまりじゃないですか!
しかし西洋において豚はかなり賢い動物として認知されています。オーウェルの「動物農場」なんかでもリーダーシップを取ったのは豚でした。
ところがアンジェロの策にはまってしまったドン・オルコ。ラザニアになって死ぬのはラザニア好きとして本望だったのかもしれません。
そんなこんなでラザニアが食べられなくなりそうな6話感想です。
91Days6話「豚を殺しに」
登場人物
アヴィリオ・ブルーノ(アンジェロ・ラクーザ)
…演技うまい(演技じゃない)。相変わらず虚実を入れ混ぜて相手を騙すのが上手です。他、手紙の主をオルコと考えていたり案外手紙を心から信用していたわけではない様子。
ネロ・ヴァネッティ
…大根役者。なんだかんだとアンジェロに対する信頼度がぐんぐんあがっていきます。3話で見せたあの思案顔はなんだったのか。ここ数話の態度すべてが演技だとしたら助演男優賞ものです。
ファンゴ
…料理は形から入るタイプ。今回は狂気のほうに吹っ切れてました。
ロナルド
…ガラッシア風を吹かせたい。今回の顚末を知ったらさぞ悔しがることでしょう。逆に潰し合ってくれるからいいのか?
ドン・オルコ
…肉の食べ方が汚い。あんな性格をしておきながら義理堅いです。
ヴォルペ
…ネロのためなら樽に入るのも肩を撃たれるのも平気。
感想
イタリア産の肉
冒頭、ネロとファンゴのユーモアかつ緊張感あふれるやり取りの中で、ファンゴは自身を指して「イタリア産の肉」と言いました。ファンゴはイタリア人だったのでしょうか。それともイタリアの血を引いているイタリア系アメリカ人なのか。
イタリアの国土がブーツの形と言われているのも絡めているのかな。
関係はないですが今回、英語を和訳したようなセリフが多い印象がありました。
40年来の顔なじみ
オルコとヴィンセントの付き合いは思ったより長いものでした。元ドンを殺す前からヴィンセントはオルコと共存の話でもしていたのかもしれません。
この時アンジェロが意味ありげな視線を投げていたのはオルコを手紙の主と思いこんでいたからでした。
毒味のネロ
最初はオルコのレストランでローレス・ヘブンを出した時。2回目はロッジで酒を勧める時、ネロは必ず自分で口に含んでからオルコに差し出しています。毒が入っていないことを示すためだと思うのですが、非常に自然で嫌味がありません。慣れているのでしょうか。
このようにしてネロがオルコの警戒心をことごとく解いていたからこそ、オルコはアンジェロに勧められた酒を疑いもせず飲んでしまったと考えられます。もちろんアンジェロの人心掌握もあったのでしょうが。
手紙の差出人、アンジェロの推理
今回のアンジェロの話を聞くに、彼は手紙の差出人に利用されていることも納得済みで話に乗っかっているように思えます。復讐をしなければ生きている意味がない、と言い放つアンジェロのことですから、復讐を遂げた後にその結果を誰がどうしようが、自分がどうなろうがどうでもいいのかもしれません。情報が少なすぎて、うさんくさい手紙を手がかりにしなければいけないほどに切羽詰まっていた、あるいはアンジェロの復讐に協力したい=復讐を利用したい誰かの存在を好機ととらえたか。
オルコに「手紙の差出人はお前か」と聞いて、肯定が返ってきたらアンジェロはどうしたでしょうか。手紙の意図、そして4人目を聞き出した後の展開は、今回とそう変わらない気がします。
それにしてもコルテオという、復讐について話せる友人がいること、4人目(?)が後悔の念から手紙を送ってきたという可能性を否定しきらないところに、アンジェロの甘さ、復讐鬼になりきれていない様を感じます。
こんがり荼毘にふす
その場のノリで言ったのはわかります。しかし「荼毘」は仏教用語で「火葬する」という意味になります。「こんがり」というセリフ、夕飯のチキンを見るに「火葬」という部分はあっているのですが、本来は仏教徒にしか使ってはいけません。これをキリスト教徒であるネロが言ってあげるのは、もしかして鶏が仏教徒かもしれないという優しさからなのか。だからどーだこーだいうわけではないのですが。
食人
人間ってなぜ共食いを嫌がるんでしょうかね。感情を共有する相手だからでしょうか。
食事会に呼んでそこで皆殺しというのはよくある手段なのでてっきりそうだと思っていたのですが違いました。オルコは脂っぽくてまずそうです。それを絶品のラザニアに仕立てたシェフはやはり一流と言わざるをえません。
それにしても、オルコを失っておいしいものをおいしいと言えるようになった部下たちは良かったですね。
青ざめるチェロット、平気なラクリマ
そういう2人の対比を見ると、やはりラクリマはファンゴの愛人だけあって胆がすわっているというか、狂っているというか。チェロットは普通の人間としての感覚を持っています。
食べるということ
今回の話では物を食べる描写が多くありました。ざっと見るだけでも
- オルコとロベルト・フラテ
- オルコとネロ・アンジェロ
- ファンゴとオルコファミリー
- ネロたち
が共にテーブルへついていました。しかし両方とも食事している描写はほぼなく、ネロたちくらいです。
食事を共にするというのは相手と親密になるのに絶好の場です。同じ釜の飯を食うとも言います。また、ご飯を食べるとき(捕食するとき)はある程度無防備になることもあり、相手を信頼していると示すこともできるのでは…と思います。
その説でごり押しするなら、オルコの前で食事をしなかったロベルトとフラテは一線を引いていることになりますし、逆にネロとアンジェロは警戒心を解くためにオルコの前で、それもオルコ側の供した食事を口にしたことになります。またファンゴはオルコの部下に食事を強要することで服従を示せと暗に言っているような気もします。
以上、前回のアンジェロの「煮るなり焼くなり」がまさか比喩でもなんでもなく本当のことになってしまったことに驚きつつ、感想終わりです。