リトルウィッチアカデミア5話感想
物語を牽引する役割ではありますが、最近とんと良い所がないアッコ。
今回もダイアナがその知識でさくっと解決してしまいました。ただアッコの熱意がまったく空回っているかというとそんなことはありません。というところが上手いバランスですね。
ファンタジー世界をどっぷりやりつつ、文明に追いやられる魔法の現実感がちょっぴり寂しい5話、感想です。
リトルウィッチアカデミア5話「ルーナノヴァと白い龍」感想
舞台
ラスタバン遺跡
ドラゴンの巣。パッと見はストーンヘンジを思わせますね。
ラスタバン、はアラビア語で「蛇の頭」だそうです。りゅう座の星の名前でもあります。ドラゴンが住処とするにはバッチリすぎる遺跡でした。
ドラゴン
伝承通りの姿形。ここ100年はラスタバン遺跡付近で凶暴なドラゴンは見かけていないそうですが、逆に言えば100年前まで普通に存在していたのが怖い。
昔は魔力補充のため魔女をとって食うなど言われていたそうです。昔の魔女は体内に魔力を留めておけたのかしら。
作中で生きたドラゴンは1匹しか出てこなかったのを見るに、ドラゴンも魔法と同じく衰退の一途をたどっているのかもしれません。
妖精
トロールやゴブリンなどを総称した言い方。魔導石がないと動けない。彼らも魔法がなくなったら活動できず死にいたるのでしょうか。
登場人物
アッコ・カガリ
お目々がきれい。知識も才能もなくても色々ぶちこわしていけるのが彼女の強みです。
ロッテ・ヤンソン
苦労人。なんだかんだ言いつつ付き合ってあげるロッテが好きです。
スーシィ・マンババラン
薬学系の授業には真面目。立ち姿が好きです。
ダイアナ・キャベンディッシュ
完璧。魔法を奪われたダイアナがどうなるか、と思っていたのですが知識の方面でも完璧でした。
アマンダ・オニール
目が緑一色で特徴的です。よくよく考えると赤毛に見えなくもないし、緑は魔女なんかと結びつきの深い色ですし、一番魔女らしい外見なのかもしれません。
コンスタンツェ(略)・アルブレヒツベルガー
機械っ子。全体的に古臭い名前です。フォンがついているということは貴族なのでしょうか。ブラウンシュヴァイク出身?しかし名前に反して本人は文明最先端の機械オタクとは、皮肉なものです。
ヤスミンカ・アントネンコ
国際色豊かですね、ルーナノヴァ。常に食べているのは寒いロシアでエネルギーを消費するからでしょうか。
ファフニール
ドラゴン。ファフニールはゲルマン系の神話で有名です。あるいはワーグナーの「ニーベルンゲンの指輪」。神話と同じく金にがめつい。しかしこの竜は本物なんですかね。
感想
フルネームで呼ぶ
怒る時にフルネームで呼ぶのは海外ものだとよく見ますよね。苗字も含めて呼ぶことで「家名」を意識させてるのか、と思っていました。が、ただ単に「本気で怒ってますよ」「あなたと距離を取りたいです」というのを表しているようです。厳格を体現したようなフィネラン先生らしい呼び方です。
先生たちの盲目
ダイアナによって古代ドラゴン語が解き明かされ、借金の事実はなかったと分かりました。が、問題は先生たちが「過去ずっとそうだったから」という理由で存在しない利子を払い続けてしまったことですね。伝統が積み重なっていくと「これってやる意味あるの?」という行為やら何やらが増えていくものです。形骸化するというか。それを変えていけるのはやはりダイアナのような若い人材なのでしょうが、あんまりやりすぎるとドライ、おもしろみがないなどと言われてしまいます。難しいところです。
科学と魔法
1話から散々、ルーナノヴァの生徒数が減っていること、ひいては魔法界が衰退していることは言われてきました。今回も同じです。ドラゴンの口からそれが語られました。同時にアッコが衰退を止める希望となる可能性も示唆されたわけですが。
特に、最新の技術を駆使しているファフニールから「科学の発達によって魔法は過去のものとなる」と語られたのは興味深いです。
科学文明の発展によって存在意義を問われたものとして、すぐ思いつくのはカメラと当時の絵画芸術でしょうか。カメラがあれば写実的な絵を描く必要はないんじゃないか?というアレです。結局はそこから抽象派が出て来たりして絵画芸術は新しい道を切り拓きました。そう思えば、魔法にもまだ可能性はあるはずです。むしろその可能性を信じて魔法ショーという形にしたのが、シャリオだったのかもしれません。
あるいは少し話を広げて、文明と魔法(原始)の対立構造で行けばシェイクスピアの『テンペスト』が想起されます。文明が発達した社会では、魔法使いのプロスペロ―は受け入れられない=都市へ帰るには魔法を捨てる必要がある。といった具合に。
そんな中でアッコは魔法使いの家系ではない世界(文明側)からやってきましたし、コンスタンツェは魔法使いの出でありながら文明機器を自在に操ります。この話でコンスタンツェが主人公メンバーとして活躍したのも制作側の意図を感じますね。文明を受け入れ過去(魔法)を否定することで生き残ろうとするファフニール、魔法道具に文明を入れ込んだコンスタンツェ、魔法の力を信じて疑わないアッコと、それぞれ付き合い方は様々です。結局どう落としどころをつけるのかは、アッコの話が進むのと共にわかっていくのかなと。
それにしてもファフニールが生き残るためには自分の存在すら否定しなければいけなかっただろうと思うと、パソコンをいじる姿に哀切を感じないわけでもないです。