リトルウィッチアカデミア10話感想
愛しのロッテに魔の手が伸びた10話でした。
魔法モノあるあるの惚れ薬系のドタバタでしたが、アッコの魅力が最大限に表されドッキドキーのわっくわくーでした。
リトルウィッチアカデミア10話「蜂騒ぎ」感想
舞台
恋のホレホレ蜂
今回のお話最大の被害者。通常の蜂の毒針部分に何か媚薬的な成分が含まれているのでしょうか。叩き潰したら効果が切れるというのが謎です。
蜂騒ぎ
今回のサブタイトル「蜂騒ぎ」はシェイクスピア「から騒ぎ」を意識したものでしょうか。男女がお互い、相手に恋をしていると勘違いしたり、最後カップルが協力して物事を大団円に持っていく様が少し似ています。
シンデレラボックス
200年前に流行ったという子ども用おもちゃ。効果は作中で発揮されていた通りです。200年前といえば校長先生の幼少期とも重なります。遊んでいたかもしれませんね。
登場人物
アッコ・カガリ
魔性の女でした。ドレスの露出多すぎません?
彼女の夢へ真っ直ぐな姿勢は、そうしたくても出来ない周りを知れず傷つける可能性もはらんでいます。今のところアッコのそうした部分はポジティブにしか描かれていないので安心ですが。
ロッテ・ヤンソン
笑顔がかわいい。ちやほやされて困惑してるのに魔法の効果が切れるとちょっと寂しい、複雑な乙女心です。今は恋愛よりナイトフォールですが、瞳を魅力的?に映す恋のホレホレ蜂とメガネの奥にきらきらお目々を持っているロッテの相性は良かった気がします。
スーシィ・マンババラン
余裕っぷりが逆にアッコへの愛情を感じさせます。彼女は傍観者としてのスタンスを崩しませんね。かわいい。
ダイアナ・キャベンディッシュ
パーティの装いはまるでギリシア神話に出てくる女神のようでした。蜂のせいで鏡に映った自身に恋い焦がれてしまう様もまるでナルキッソス。
アンドリュー
アッコと仲良くなったと思ったら冷たくしたりとよくわかりませんね。彼もかつて、魔法と同じく父親から意味のないものとして切り捨てられたピアノに情熱を傾けていました。楽器なんかは触らないでいるとどんどん弾けなくなっていくと言いますし、即席であれだけ弾けたアンドリューはこっそりピアノを練習していたんじゃないでしょうか。
感想
ロッテのやさしさ
フランクがロッテを図書館に誘ったのは意外でした。が、よく考えれば彼はアンドリューの御学友、曲がりなりにも名門校の生徒なわけです。それでも父親や家系のしがらみに縛られるアンドリューと違って自分の心に素直になれる彼はまさに「いいやつ」です。彼のような友人がいてアンドリューは良かったですね。
噴水の前での演説
夢を持ってるとたのしー!なんて言えるアッコはやはりどこかで子どもです。大人になるにつれ、アンドリューやダイアナのように環境や現実を知り、夢と折り合いをつけて生きていくか、諦めるかしかありません。運よく夢を叶えられたってなにもかも思い通りになることなんて稀です。だからこそアッコの言葉は大人であればあるほど受け入れがたいものになってしまうでしょう。
ただアッコも言うように、アンドリューの立場や気持ちを彼女に理解しろというのもどだい無理な話です。傍から見て恵まれていないのはアッコのほうです。
1話でシャイニィロッドを使ってから「本当はすごい魔法が自分には使えるはず・才能が眠っているはず」と思っていたアッコ。アンドリューと共にポラリスの泉で現実を見てからは、8話「眠れる夢のスーシィ」で「私よりロッテのほうが生贄の魔法をうまく使えるはず」、今回の話で「今はちっぽけな魔女」と発言できるようになったアッコは明らかに精神的な成長を遂げています。等身大の自分を知ることは成長の第一歩です。一緒にポラリスの泉で、ある種の挫折を見られたアンドリューにこそ、アッコはもう一度夢のすばらしさを話したかったのかもしれません。心を折られたけど、諦めてないよと。
そしてアンドリューも心に秘めているだけで、夢や野心を持っていないわけではありません。ピアノは前述の通りこっそり練習していたのでしょうし、今回はフランクの前で「父と自分は違う考え」とはっきり述べています。父である伯爵は魔女など古臭く必要のないものは切り捨てる考えです。しかしアンドリューは古臭いと言われた魔女を、必要のないとされたピアノで庇いました。アッコの言葉を受けての返事にしてはあまりにロマンチックです。アッコがそこら辺の、夢を持っている人が全員それを公言しているわけじゃないということに気がつくかどうかはこれからの成長にかかるでしょうか。
おまけで、「1984」を読んでいるアンドリューは今の、魔女を半分切り捨てた一般社会を理想的とは思っていないんですかね。魔女と一般人の、おそらく蜜月だっただろう黄金時代を経て何があったのか、そこのところが描かれることはあるのか気になります。