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アニメ感想・考察ブログ

Fairy Gone24話感想&総括

Fairy Gone最終回24話「放たれた空 つないだ手」感想

 

※ かなりネガティブな感想になります。Fairy Goneというアニメを楽しんだ方はその気持ちを大切に、ここでページを閉じていただければ双方にとって幸せかと思います。

私はこのアニメをつまらないと思いましたが、それは誰かの「このアニメは面白かった」の気持ちを否定するものではなく、またその力もありません。

 

少しばかり自分語りをしますと、私は「自分が面白いと感じたアニメの感想だけを書く」をルールにしていました。Fairy Goneに対しても最初は面白いと感じていました。

しかし1クール目の途中から、どうもつまらなく思うようになりました。そこで視聴と感想記録を止めれば良かったのですが、見ていく内に「自分は何を面白いと思い、何をつまらないと思うのか」という疑問を持ってしまったのです。つまらない原因を知るには最後まで見るしかない。あるいは、ケムリクサのようなどんでん返しを期待していた部分があったのかもしれません。

 

23話まで視聴し、最終話を見るまでは単に「つまらなかった」を最後に書いて終わろう、お疲れさまでした、と考えていました。

最終話まで見た今、考えが変わりました。つまらないどころか、Fairy Goneは私が今まで見た中で最低のアニメです。あんなにまで人の生をバカにした作品は過去見たことがありません。

 

感情的になっても仕方ないので、なぜ私がつまらないと感じたのか、理由を考察してみます。

 

・説明不足

何もかもこれで納得いく気がします。

あえて分かりづらくしているとしか思えない時系列。(例えば終戦の時期とスーナ焼き討ち、マーリヤの生い立ちなど)

妖精がなんたるか、なぜ戦争が起こったのか、ドロテアは何のために存在しているのか、どのような組織なのか。

世界観に対する説明が圧倒的に不足しているのです。

過去の感想を見返すと、どうやら10話くらいまではどうにかこうにかFairy Goneの世界を噛み砕こう・理解しようとしていたようです。これは他のアニメも同様で、しばらくは助走期間といいますか、おそらく私にとって「これくらいの話数までなら世界観が十全に説明されていなくても我慢できる」限度が10話なのでしょう。

とはいえ、1から10まで説明して欲しいとは私も思っていません。世界観に余白がないと作品が窮屈になってしまい、想像の余地を奪うだろうことはわかります。

では、なぜFairy Goneに関しては「説明不足だ」と感じたのか。それは、世界の土台が示されなかったことと、謎だけが提示されたことに起因しているのではないでしょうか。

1つ目に関して、古くは神話からして、ギリシアでも日本でも北欧でも世界の成り立ちを最初に語っています。「ケムリクサ」では世界の成り立ちそのものが物語のキーとなっていて、1話から徐々にヒントを与えつつ11話あたりでどんでん返しを行いました。「色づく世界の明日から」では、世界の成り立ちは最低限の説明しかされていません。魔法がどうやってあの世界の歴史に存在するようになったのかとか、魔法使いの家系はどのようになっているのかとかの説明は一切ありませんでした。しかしそれは話の本流ではありません。あれは主人公瞳美ちゃんが自身の過去と向き合い、前を向いていく作品です。だから世界の成り立ちの説明は最低限でもいい、その分瞳美ちゃんの秘められた過去や心の傷はしっかり最終話までで描かれました。

Fairy Goneではどうでしょうか。古来より妖精と呼ばれる存在がいて、人間はそれを利用して兵士を魔改造し戦争した。分かれていた国は統一された。統一国家にはドロテアという機関がいて、所持が違法となった妖精を取り締まっている。また、主人公たちにフォーカスしてみれば、マーリヤは生まれた時から災いの子と忌み嫌われた挙げ句、養父・故郷を焼かれる。唯一の生き残りであり幼い頃から心の支えだったヴェロニカを探している。フリーは、戦争が終わった後ドロテアに加入した。これがアニメ内で提示された世界観・主人公たちの背景かと思います。

こうして書きだしてみると、それなりに世界については説明されているように見えますね。でもこれ、中身がなかったんですよ。ドロテアについてが一番わかりやすいでしょうか。1話でフリーは自身をドロテアに所属する人間だと明かします。その後、マーリヤも入隊しいきなり任務となるわけですが、それだけです。妖精を取り締まる機関です、とだけ説明されます。せっかくマーリヤが新人という立場で、ドロテアに関する解説を入れやすい状況になっているのにそれが全くない。部隊ごとの役割や、ドロテアの成り立ち、どうやって仕事が下りてきているのか、妖精兵の割合なんかは説明があって良かったのではないでしょうか。内部の描写も、談話室みたいなところだけでしたね。

いやいや、ドロテアという機関に重きを置いたストーリーじゃないから、そこまでの説明はいらない。そんなパターンも考えてみます。

ドロテアに重きを置いていない、というなら、主人公2人の成長にフォーカスしたストーリーになるのでしょうか。2人の置かれた状況は前述の通りです。マーリヤについてはそれなりに尺を取って過去を描写していましたね。かなり細切れでしたが。

しかしマーリヤやフリーの心情はどうでしょうか。成長にフォーカスするなら、主人公たちがどう感じ、どう変化したのかを描かなければいけません。その点で考えると、このアニメは説明不足としか言いようがありません。マーリヤもフリーもほとんど自分の心情を表すことがありませんでした。何か自分の中で決意した時だけ周りに宣言していた印象です。私からすれば、何の葛藤もなく、何の前触れもなく、耳触りの良い言葉を話してるなあ、くらいにしか思えませんでした。挙げ句の果てにオズの死についてマーリヤの心情の変化を公式ツイッターでのみ説明する。せめて作品から読み取れるようにして欲しかったです。もしかしてたら描いていたのかもしれませんが、私は分かりませんでした。

 

・(描きたい)シーン最優先で話が動いている

これは2期後半から顕著になってきたように思います。元々、ストーリーが粗いというか、なぜここでこのキャラはこの行動をとったのか不明な点はいくつかありました。有り体に言って、キャラに一貫性がなく単なる人形みたいになっていました。話の展開のためだけに動かされていなかったでしょうか。

具体的なシーンを挙げればキリがないものの、自分や他人の命が危険にさらされている中で無駄としか思えない行動をとっていることが多くありました。ここでの「無駄な行動」はメタ的に「ヒキ」の絵だったり次の展開に繋がるためだったりにしか見えない行動とも言い換えられます。普通、自分のせいで周りが不幸になるのを恐れるマーリヤが、幼い姉妹とヴェロニカを置いて神獣に特攻するでしょうか?その後即撤退しているのに、前に出る意味はあったでしょうか?

 

そして、ヴェロニカは本当に死ぬ必要があったでしょうか。

オズは分からなくもないです。完全に描写不足だったとは思いますが、マーリヤの心情の変化を起こさせ、オズの妖精を再登場させることでアインツ教団が妖精器官の移植手術を行えるのを明らかにするためだったのでしょう。オズの妖精ってマーリヤに言われないと全く気づきませんでしたけれども。もう少し妖精を印象付けてもらえてたら違ったのでは…。

レイ・ドーンはあっけない死に方でした。神獣の素となるため、話としては殺す必要があったのでしょう。一応スーナを焼き討ちしているので因果応報が成り立ってもいます。

その他、名ありで死んだのは首相とヴェロニカでしょうか。この2人をなぜ殺したのか、全く分かりません。首相存命でもレイ・ドーンをロンダキアに呼び寄せる方法はいくらでもあったように思います。

ヴェロニカについては余計に分かりません。彼女が死に際して言った「罪を償う」ですが、私にはヴェロニカの罪が何かさっぱり分かりませんでした。レイ・ドーン殺人未遂?それは死をもって償わせなければいけない罪だったでしょうか。例えばこれがウルフランなら、それなりには納得できます。彼は作中でテロを手引きし、名もなき人々を死に追いやったのですから。

もしヴェロニカがアニメで描写されていない部分でひどい罪を犯していたというのなら、最終話まで生かす理由がわかりません。それなら1話で死んでも同じではないですか?今回ヴェロニカの死に、1ミリたりとも心が動かされることはありませんでした。たぶん1話で死のうが最終話で死のうが同じ感想を抱いたと思います。だって彼女の過去も想いもほぼ知らないのですから。

 

戦争とは、災害とは、理不尽に命を奪っていくものなのだ。犠牲のない勝利はあり得ないのだ。もしかしたら制作側はそんな意図をもって主要キャラであるヴェロニカを死に追いやったのかもしれません。けれどそれなら、なぜドロテアのメンバーはほぼ無傷なのでしょうか。

ものすごく嫌味な言い方をします。かわいいマーリヤを、スーナ出身の妖精憑きで融合体を持っている唯一の救国の聖女としたいがためにヴェロニカを殺したのではないですか?

 

ここからは完全なる主観になりますが、最終話のマーリヤの立ち直りも不自然に早かったように思います。彼女にとってヴェロニカは生きる理由だったのではないのですか。(とはいえ、マーリヤも普段は「任務がんばる」となっているのにヴェロニカに出会った時だけ「ヴェルヴェル」言っている感はありましたけれども)

もしどうしてもヴェロニカを殺したかったのだとしたら、そして2人の関係性に重きを置いているのだとしたら、最終話でちょちょっとではなく少なくとも1~2話前にするべきだったのではないでしょうか。

 

以上から、私にはヴェロニカの死が、描きたいシーン(マーリヤに言わせたい台詞)のためのご都合主義であり、安易な感動を起こすためのものにしか見えませんでした。キャラクターの命をこんな風に扱うのは、人の命をバカにしているとしか思えません。

 

と、散々ぐだぐだ言いましたところで、結局、1話の感想で書いたことが全てだったのかもしれません。「ハイ・ファンタジーはいかにその世界へ視聴者を没入させるか、が肝」、そして私はこのFairy Goneの世界へ没入することが出来ませんでした。