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アニメ感想・考察ブログ

Fairy Gone5話感想

あの時同じ月を見て美しいと言った2人の心と心は…今もまだ通ってるはずなんだよなあ

Fairy Gone5話「黒い月と迷い子の唄」感想

再会してヤッター!嬉しい!大好き!で終わらない、2人の変化(あるいは変化しなかった部分)に焦点を当てた話でした。

元々持っていなかったマーリヤと、たくさんを持っていたからこそ奪われた絶望と怒りに身を委ねてしまったヴェロニカの対照性が際立ってきましたね。傷を負う戦いを経て、マーリヤにはまだまだ知らなければならないことが多そうです。

 

今回は、というより今回も、あちらこちらに残る戦争が描写されました。きな臭い動きをしている領主とか。反面、良い意味での戦争の残り香も描かれていました。(戦争に良い意味もくそもないのは承知の上ですが、他にどう表現したらいいのかわからないのでこう書いときます)

たとえば、マーリヤちゃん歓迎会のバーにいた、常連3人。彼らは戦争で出会い、終戦した今でも交友しています。戦争時の関係性を引っ張ったまま。彼らにとって戦時の話は武勇伝になっているのかもしれません。もちろん大切なものも沢山失ったでしょうが、彼らは戦争を体と心に残したまま、前を向いているわけです。この世界の人たちがみんなそうなれたら、平和になるような気がします。

 

さて、その3人の関係性を説明しつつ、ドロテアの他のメンバーにもそれぞれ抱える過去があると匂わせていました。人それぞれ色々ある。この言葉はジョナサンにも、あるいは登場する全てのキャラクターに言えることかと思います。

なぜ人を傷つけることが芸術なのか。中盤からジョナサンがうわごとのように言っていた「パパ」「ママ」に関係があるだろうことは理解できます。でもそこまでです。それ以上はヴェロニカがジョナサンの命を奪ってしまったため、知ることはできませんでした。それぞれが抱えるものを理解するチャンスを、ヴェロニカは奪ってしまったのです。

 

でもこれは仕方のないことです。全てを奪われてしまったと感じているヴェロニカは、人から奪うことでしか生き延びられません。戦争経験者も同じかと思います。相手の理解を、なんて生っちょろいことを言っていたら戦争を生き抜けないでしょう。殺される前に殺さなければ。

だから、話し合いで相互理解を、なんてキレイ事を言えるのはマーリヤにおいて他にいません。戦争を経験していないからこそ、他の人の救い足り得ることもあるのではないでしょうか。

今後、話し合いで解決だとかそういう流れになっていくようにはあまり思えませんが、マーリヤの立ち位置はやや特殊です(妖精憑き・戦争未経験)。彼女にしか出来ないことを見つけてほしい。あわよくばヴェロニカと仲良しこよししてほしい。

そんな5話でした。